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ひとこと。
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- 2006/10/06(Fri) -
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誰に向かっていうでもなく、一応言っておきます。
生きてますよー。 お昼の定食もモリモリ食べてるし。 色々あるけれど、元気です。 あ、なんかこれ、魔女の宅急便みたいなセリフですね。 ものおもいの秋。 色々書きたいこともあるのですが、今日はやめておきます。 おやすみなさい。 |
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週末
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- 2006/08/20(Sun) -
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北京旅行記から遠ざかってばかりですが、ひとまずこの週末のお話。
土曜日、久し振りに和歌山の友人宅に行って来ました。 中学以来の大親友のえっつん。 3人の子持ちで、なんと上の子は小学校4年生。 10歳って、フタケタよ! かたやこんな人生もあるのね・・・。 手土産に、鳥取のおばあちゃんちで貰った葡萄を持っていくと、 「箱入りの葡萄なんて初めて!」って、みんなとても喜んでくれました。 ビール片手に、友人夫妻とあれこれと話こむ。 ここはいつも居心地がよく、実家並みのリラックス度。 いっぱい話ししたいのに、楽しくて飲みすぎて、したたか酔ってしまったよ。 「おかあさん、ぶーこ舟漕いでるで」 「しーっ、静かにしといたり」 そんな会話を夢うつつで聞いてた土曜日の夜。 日曜は昼過ぎに友人宅を出て、一路京都へ。 夕方、じいちゃんと久々に再会☆ じいちゃんとは去年の秋に会って以来だから約1年振りです。 寺町四条下ったところのお多福珈琲でお茶。 これはじいちゃんセレクトの喫茶店。 さすがじいちゃん、素晴らしいリサーチ。 前回のとようけ茶屋といい、今回のお店といい、私よりよっぽど詳しい! 私は普段ドトールとかスタバとかのチェーン店しか行かないけど、このお店はこじんまりとした店内で雰囲気もよかったです。 お客さんも途絶えることなく入るし、珈琲も美味しかった☆ けどこういう本格的な喫茶店は、一人で入るのは勇気がいるわね^^; なんせ、えせコーヒスト(珈琲をこよなく愛す人、の略。ただしスタバでもドトールでもなんでも可。)だから。 「おぬし、さてはえせコーヒストだな? わが店には相応しくない、出て行ってもらおう!」とか、 見破られちったらどうしよう!キャー! 冗談さておき、夜ごはんは木屋町の半分庵へ。 久々に行ったら、今まで目印にしてたきぬたビル1Fのクスクス(アフリカ料理屋)がいつのまにか別の店に変わっててびっくりした。 半分庵には2時間半ほどいたけど、最後までお客は私達だけ。 マスターも奥のテーブルで眠りこむほどの暇っぷり。 けれど料理は相変わらず大変おいしゅうございました。 じいちゃんとはサシで(?)話しした事って今まであんまりなかったけど、今回はゆっくりたっぷり話しが出来てよかったな〜。 映画や本など、興味のある分野がお互い似ている事もあったし、色々新発見もありました。うむ! そんなこんなで、週末は懐かしい友達にいっぱい会えたし。 楽しいひとときを過ごしました。大満足! ありがとう。今度また、近々会おうねー! |
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追悼
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- 2006/08/15(Tue) -
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8月13日、養老に住む伯父が亡くなった。
訃報を聞いたのは当日の昼過ぎ。 父と二人で、近くの海から戻ってきた時。 父の携帯に、一番上の兄である小坂の伯父から留守番電話が入っていた。 隣室で電話を掛けなおした父の声が、驚きに変わる。 シャワーを浴びた後 髪を乾かしていた私は、胸騒ぎがしてドライヤーを止めた。 しばらくしてから、襖を開けて父が言った。 「養老の兄貴が倒れた。 今は意識不明だけど、覚悟しておいた方がいいらしい」 驚きで言葉にならなかった。 入退院を繰り返していた伯父。 ちょうど一月半前にも、両親が見舞いに行ったところだった。 「明後日までいるつもりだったけど、万が一に備えて明日の朝帰ろう」 父は言った。 でも、私は現実的な事とは思えなかった。 私の中で伯父は、明るくて、面白くて、お酒が大好きな陽気な人だった。 退職してからはアジア中を旅行していた。 特に台湾が大好きで、旅行から帰るたびに土産だと言っては、 いくつもの珍しい工芸品や食べ物を送ってくれた。 何かの機会に親戚が集まると、いつも伯父を囲んで話しに花が咲いた。 楽しそうに酒を汲み交わしながら談笑する、父や伯父たちを見るのが好きだった。 そんなおじさんに限って。 覚悟って何?そんな事あるはずないのに。 大げさに聞こえるけど今回もきっと大丈夫。 明日の朝ここを発っても、後から「もっとゆっくり出来たのにね」、 って、きっと笑いあいながら恨み事を言うんだ。 父の話しを聞きながら、私はどこかでそんな風に思っていた。 でも、伯父はそのまま二度と帰ってこなかった。 倒れたのは午前11時頃。 近くに住む飲み友達の家に行く予定だったそうで、手土産のつもりだったのだろう、好物のカラスミを準備していた時に倒れたそうだ。 迎えに来た友達が、倒れている伯父を発見した。 隣の工房で働いていた息子のあつし兄ちゃんが駆けつけた時には、まだ身体は温かかったそうだ。 必死に心臓マッサージや人工呼吸をし、救急車が来た後は電気ショックもしたが、そのまま帰らぬ人となった。 万が一だった話が訃報に変わった時、 私は立っていられなくなって横になった。 世界がぐるぐるまわる。 こんなの全然リアルじゃない。 悪い夢を見ているようだ。 心の整理が付かず、涙も出ない。 しばらくして起き上がり、淡々と帰る支度をした。 翌朝 鳥取の祖母の家を出た。 京都に一度寄って貰い、喪服の準備をする。 養老に着いたのは夕方5時過ぎだった。 教えて貰った葬祭場に行くと、従兄のあつし兄ちゃんが出迎えてくれた。 ともひと兄ちゃんも。目を真っ赤に腫らせた二人。 もう随分長い間会っていないのに、よりによってこんな形で再会するなんて。 通夜の会場に入ると、祭壇の上からおじさんの写真が笑いかけていた。 屋外の写真なのだろう、柔らかい日差しが斜め上から差込み、おじさんはいつもの眼鏡を掛けて、なんともいえないいい表情で笑っている。 後から、台湾旅行に行った先で撮った一枚と聞いた。 通夜が終わった後、近親者だけで棺の中で眠る伯父に挨拶をした。 口を軽く結んで目を閉じ、眠るような穏やかな表情で、伯父は静かに横たわっていた。 「おじさん」 たまらず涙が溢れだす。 「おじさん、おじさん」 棺に手をかけて、おじさんを抱きしめるようにして呼びかけた。 私、約束をしてた。おじさんと。 6月末、両親が見舞いに行った夜に、おじさんは父の携帯を使ってメールをくれた。 「近いうちに京都に行きたい。年内がいいな。 その時は文子、案内してくれ。 予算20万以内ならおじさんが出すから、なんか美味いもの食いに行こう」 幸せな約束だった。 私、とても楽しみにしていた。 数日後、おじさんは見舞いのお礼を実家に電話してきた。 その時も母に、「文子と約束したんだ。」おじさんはそう言ってくれた。 どうしてあの時、メールだけで終わってしまったんだろう。 私もお見舞いに行けばよかった。 おじさんの顔を見て、直接話しすればよかった。 もう二度と実現する事がない。 私にようやく来た”リアル”は、死ぬほどの後悔を伴っていた。 通夜が終わった後、親族だけで夜通し番をした。 小坂のおじさん、可児のおじさん、美子おばさん。 お酒を飲みながら、思い出話しをしながら、夜が更けていく。 遅れてきたあつし兄ちゃん、ともひと兄ちゃん。 みんなの口から次々に語られるおじさん。 15年前に一度心筋梗塞で倒れてからも、好きなお酒やたばこは絶対に断とうとしなかった。 「俺はな、酒やたばこをやめてまで長生きしたいとは思ってないんだよ。 太く短い人生、これでいいんだ」 と笑っていたそうだ。 本当にその通りになっちゃったね。 けど、おじさんらしいや。 語り合い慰めあって迎えた告別式の朝。私はもう大丈夫だった。 おじさん。 大好きだったおじさん。 離れていても私たち三姉妹をいつも気に掛けて、可愛がってくれてありがとう。 京都でおじさんと酌み交わすはずだったお酒は、天国で再会する時までお預けにしておきます。 会えなくて寂しいけど、少しの間だよ。のんびりと待っていてね。 |









